開化期をむかえようとしている。」
NHKのスペシャルドラマ「坂の上の雲」の冒頭のナレーションです。
明治維新を迎えたものの、世界の列強の帝国主義の波は容赦なく日本にも襲いかかる。
農業しかなく、何の産業もなかった日本が、列強の侵略に立ち向かっていく歴史です。
今年の大河ドラマ「龍馬伝」が完結し、12月の日曜日の夜が暇になるどころでなく、「坂の上の雲」(第2部)が始まりました。
龍馬伝は、土佐藩の郷士の出の龍馬が、大政奉還を実現させた一つの要因になった話です。
坂の上の雲は、明治政府、軍隊の有力藩(鹿児島の薩摩や山口の長州)の流れでない愛媛出身の秋山兄弟の、自己鍛錬、自助努力により、大帝国ロシアの日本への侵略を食い止める一つの力になった話です。
大政奉還も、日露戦争の勝利も、日本史の中での奇跡といえる事です。
当然、主人公だけの活躍だけでなく、物語に出てこない多くの人の意志、力もあったし、そして、多くの、多くの人たちの生命をもって実現しました。
日露戦争後にも、日本にとって大きな逆境はあるものの、奇跡がおこったのかもしれません。
でも、そこには、先人の努力、命がけの努力がありました。
まさに、多くの日本人の命が奪われつつ、歴史が、日本が築かれました。
現代の日本では、身分の差は無く、平等です。
裏から足を引っ張るような力があるにしても、幕末、維新期の頃とは比較になりません。
足を引っ張る勢力...が、当時とは全く違うのかもしれませんが、誰でも、日本の為に立ちあがる事ができるはず。
政治家には、座右の書が「坂の上の雲」という人もいるし、愛読書は司馬遼太郎という人は少なくありません。
勉強、修養は必要。
そして、結果を出せ!
有権者も、有権者として、勉強、修養し、政治へもっと参加しなくては。
頑張れ日本っ!
(冒頭のナレーションの前文です)
まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている。
小さな、といえば、明治初年の日本ほど小さな国はなかったであろう。産業といえば農業しかなく、人材といえば三百年の読書階級であった旧士族しかなかった。
明治維新によって、日本人ははじめて近代的な「国家」というものをもった。たれもが、「国民」になった。不慣れながら「国民」になった日本人たちは、日本史上の最初の体験者としてその新鮮さに昂揚した。このいたいたしいばかりの昂揚がわからなければ、この段階の歴史はわからない。
社会のどういう階層のどういう家の子でも、ある一定の資格を取るために必要な記憶力と根気さえあれば、博士にも官吏にも軍人にもなりえた。
この時代のあかるさは、こういう楽天主義(オプティミズム)から来ている。
四国は伊予の松山に、三人の男がいた。
このふるい城下町に生まれた秋山真之は、日露戦争がおこるにあたって勝利は不可能にちかいといわれたバルチック艦隊をほろぼすにいたる作戦をたて、それを実施した。
その兄の秋山好古は、日本の騎兵を育成し、史上最強の騎兵といわれるコサック師団をやぶるという奇蹟を遂げた。
もうひとりは、俳人になった。俳句、短歌といった日本のふるい短詩型に新風を入れてその中興の祖になった正岡子規である。
かれらは、明治という時代人の体質で、前をのみみつめながらあるく。のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲がかがやいているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくだろう。
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